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チアリーディングは、子供から大人までそれぞれの年代で楽しみながらできて、様々な効果が得られるスポーツです。単にダンスを踊るだけではなく、頑張っている選手やチームの応援を通して“一体感や感動を共有する”といったスポーツの新たな楽しみを知ることもできます...
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連載インタビューvol.12
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北垣 美砂(きたがき みさ)決まりごとはあっても、自由さを忘れないのがチアの本質。しかし、そんななかでも、北垣さんとチアとの向き合い方はかなり独特だ。際立ったダンススキルを生かした指導で、チアダンスチーム、『PLANET』ディレクターとして数々のタイトル獲得に導いてきた。チアという枠だけに囚われない事で逆にチアの可能性をひろげる。それはまさに、バイタリィに富んだ彼女の生き方そのものに思えた。
 
先輩とソングリーディング部を創設。目標は大会出場
 
Q.チアを始めたきっかけは?

A.本当は、高校時代にやっていた創作ダンスを、付属から一緒に上がった友達と続けるつもりでいました。でも、大学にはダンス部はなかった。どうしようかな、と思っていた時、たまたまある先輩から、「ソングリーディングを始めませんか」と声をかけていただいて、一緒に立ち上げたのが、きっかけでした。

Q.大学にチアはなかった?

A.はい。その先輩は、元々はアメリカの大会に出場するような強いソングリーディングのチームにいて、大学にはその一芸入試で入られた方だったんです。なので、大学でもソングリーディングの活動を続けなければ、母校の後輩に推薦入学の道を残す事が出来ない、という思いがあった。それで、わたしが高校時代、創作ダンスをやっていた事を知って、誘ってくださったんです。

Q.大学時の活動は?

A.大会に出場する事を、何より目標にしていました。ソングリーディング部としてはバスケットボールやアメフトの応援もしていましたが、正直に言ってわたし自身はそれほど熱は入っていませんでした。当時は、競技としてのソングリーディングしか興味が持てなかったんです。実際、その練習で精一杯でしたしね。
大学のチームでは成績はあとからついてくるものということで優勝とは口にしてはいけなかったんです。


Q.最初に出た大会は?

A.JCA(元JSDA)の大会です。大学部門に出場したのですが、当時は3校しか出場していなくて、2位だったのかな。今はその協会はなくなり、別の協会が主催する大会も参加校が増えて、テクニック重視になっていますが、その頃は「曲に合わせて揃えて踊る」というのが重要視されていた時代でした。

Q.学生時代の活動は、そこからどう広がっていきましたか?

A.他の踊りも出来た方が、ソングリーディングにも生かせるのではないか、と思い、部活のない時期は、ジャズダンスとヒップホップを習っていました。ほかにも、協会が主催するソングリーディングのインストラクター養成コースにも通ったりもしていました。将来は、JSDAのインストラクター養成コースを出て、指導者になれたら良いな、という思いもありました。
 
ダンサーとして生きる道を求める中で得た大切な縁
 
Q.大学を卒業してからは?

A.わたし、全く就職活動をしなかったんです。将来は、ダンスやソングリーディングに関連する活動をして生活を成り立たせたい!という夢があったので。ダンスやソングリーディングの活動にのめりこみすぎて、卒業単位もぎりぎりで、就職活動が出来るような状態でもなかった事もありますけど……(笑)
大学4年当時は芸能事務所にも入っていたんです。そこでダンスの練習をしつつ、オーディションを受けたりバックダンサーの仕事を紹介してもらったりしていました。そのままの流れで大学を卒業し、ダンサーとして活動するようになりました。


Q.そういう時期は、どのくらい続いたんですか?

A.芸能事務所は、「1年間休まず毎日顔を出そう」と決めて、それでダンスが生活を成り立たせられるような仕事にならなければ、きっぱり辞めようと思っていました。結局、良い仕事はあまり回ってこなかったので、1年で事務所を辞めました。
並行してJSDAのインストラクターもやっていたんですが、こちらも年2回くらいのワークショップくらいしか、仕事がなくて・・・。でもその時、「ほかにもインストラクターを捜している学校はあるはずだよ」ということを言っていただいて、今度は自分で捜してみることにしたんです。高校の学校案内でダンスに関連した部活のある学校を見つけ出し、履歴書を送りました。「インストラクターとして、雇ってもらえませんか?」というお手紙を付けて。


Q.結果は、どうでしたか?

A. 60通送って、1校だけ返事がきたんです!その高校では、今もずっと教えていますよ。縁というのは大切ですよね。ワークショップも、年2回程度の活動でしたが、その活動を通して知り合った子たちと、その後、立ち上げたチームが『PLANET』でした。
   

(取材・文/会津泰成)
 
(2回目に続く)

北垣 美砂(きたがき みさ)
9月25日生。東京都出身。9歳よりモダンバレエを習い、高校時代は創作ダンス部に所属。國學院大学でドリル競技部を創設。JAZZ、HIPHOPも同時に習得。
1995年よりXリーグ内の数チームでチアコーチやコリオフラファーとして活動。1996年チアダンス&ダンスチーム「DANCE FOR THE PLANET」立ち上げ。
1997年NDAナショナルチャンピオンシップではJSDA主催の選抜チームで全米準優勝。
2000~2004年XリーグオールスターチアリーダーVENUSダンスディレクター。
フジテレビのバラエティ番組『ワンナイR&R』でのゴリエちゃん企画にて、楽曲、PVやワンナイライブや紅白での振り付け&バックダンサー、ゴリエ杯企画&審査員を担当。
「DANCE FOR THE PLANET」チアアンドダンスDVDの他、任天堂wiiのゲームソフト『We Cheer』の全振り付けをPLANETSとして制作。
株式会社プラネッツ代表取締役。
http://www.d-planets.com/
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