ダズリング・スタイル 輝き続ける女性のためのWEBマガジン
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チアリーディングは、子供から大人までそれぞれの年代で楽しみながらできて、様々な効果が得られるスポーツです。単にダンスを踊るだけではなく、頑張っている選手やチームの応援を通して“一体感や感動を共有する”といったスポーツの新たな楽しみを知ることもできます...
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連載インタビューvol.5
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堀 郁(ほり いく) レッスン中の彼女は決して妥協は許さない。生徒に向けるまなざしも、どちらかといえば厳しい部類の指導者かもしれない。しかし、スイッチがオフになれば、飄々とした天真爛漫な女性に変身する。そんな彼女が何より大切にしているのは、チアとしての「プライド」だった。
 
アメリカで友達に誘われて始めたチア
 
Q.チアを始めたきっかけは?

A.今でも仲の良い友達に誘われたのがきっかけでした。当時わたしはアメリカで暮らしていて、現地の学校に通い土曜日だけ日本語学校に通っていました。 最初はテニスをしていたのですが、あまり才能なさそうだなと思っていたんです。ロスに引っ越した10歳の時、NBAのロサンゼルス・レイカーズの試合を観に行ったことがあって。わたし、日本では鼓笛隊でバトンをまわしていたんですけど、そこでレイカーズのチアリーダーのパフォーマンスを見て、ドキューン!ってやられたんです。『わたしも大きくなったら、あの舞台に立ちたい!』って。そんな思い出も、心の底にあったのかもしれません。

Q.子供の頃のそういう体験は、大きいですよね。

A.でもその後、身長が1年間で25センチも伸びて、成長痛で運動が出来なくなってしまったんです。それで、チアのパフォーマンスを見て感動した事もしばらく忘れていました。自分が出来るものとは思えなくなってしまったんですね。
 
すごく厳しい、でも楽しかった毎日
 
Q. その感動を、友達に誘われて思い出した。

A. 友達に誘われて、『よしっ、ちょっと行って見ようか』と(笑)。でも、チアを始めたものの、練習はものすごく厳しくて、死ぬほど忙しい生活が始まりました。朝5時に起きて6時半から筋トレとランニング中心のメニューをこなし、8時から授業。で、2時間目と3時間目の間の少し長い休み時間には、みんなで集まって宿題をやって、お昼休みも勉強。5時間目が終わったら、6時間目にはスポーツの授業をとり、2時から6時過ぎまでガッツリ練習。で、家に帰って、ご飯を食べて、宿題をして、寝る。毎日9時には寝て、翌朝に備える。そんな生活をしていました。

Q. かなりハードな日課ですね。

A. でも、楽しかったですよ。きついけど楽しい。試合に勝つと楽しいし、応援ラリーが盛り上がると嬉しい。盛り上がらないと悔しいので、みんなで緊急ミーティングをして、「なんで盛り上がらないの!?」みたいに話し合ったり。当時の事は、いまも貴重な思い出として残っています。
 
帰国後は“バトンをまわさないバトン部”
 
Q. 高校一年生の時に帰国して、今度は日本で、チアを始めました。

A. 最初からチアを迷わず選んだわけではなかったんです。でも、部活には絶対入りたいと思っていました。お友達が出来るし、先輩も出来ると思って。で、“バトンをまわさないバトン部”に入りました(笑)。

Q. 戸惑いはありませんでしたか?

A. アメリカでしていたチアとはスタイルも違っていたので、最初は『入るの、どうしようかな』という気持ちもありました。でも、入部して大正解でした。同期も先輩も良い人たちばかりで、わたしが、「アメリカではこういうスタイルでやっていた」と話しても、話をしっかりと聞いて受け止めてくれた。みんな、『じゃあ教えて、教えて!』って感じで。校風ですね、のんびりしている校風が、わたしには合っていたように思います。
 
人との出会い、めぐり合わせへの感謝
 
Q. まわりに恵まれた。

A. はい、それは間違いないです!いまもすごく恵まれていると感謝しています。ほんと、めぐり合わせが良い。周りが素晴らしい人だらけなんです。チアのスクールを始めても、『人なんて集まらないかも』と思っていたのが、大勢の方が集まって協力して下さっている。人との出会い、そしてめぐり合わせ。これには心から感謝しなければ、といつも思っています。
 
レベルが高いからこそ、遊びも楽しめる
 
Q. 現役時代の思い出は?

A. 楽しかった思い出はたくさんありますが、くだらな過ぎて話せないような事ばかりです(笑)。例えば、みんなでアメリカに合宿に行った時、勝手に『出発の曲』とか決めて、飛行機の中で音楽をかけて怒られたり、とか。そんなくだらない話ばかりですよ(笑)。
ただし、わたしの所属したクラブチームは、大会に出場すれば常に優勝を狙えるようなレベルの高いメンバーが揃っていました。
ある程度出来るからこその余裕なんでしょうね、さっき話した遊びの部分も。
 
チア・ハード!ワーク・ハード!
 
Q. 単に遊ぶ集団だったら嫌。

A. そうです、そうです。そういう友達は別にいました。そうではない「このメンバーとだったら、トップクラスでいろいろなことが出来る!」みたいなものが、わたしのモチベーションになっていました。プロに近いレベルでバックダンサーをしていた仲間も何人かいたりして。そういう事も出来る。そういう意味で楽しい。なので、みんなでふざけたり遊んだりする一方で、練習はものすごくしていました。

Q. その後は?

A. 就職をしてクラブチームを始めてからも、仕事は6時、6時半までして、7時、7時半から体育館の使える夜10時まで練習。そのあとミーティングをして、夜11時から『じゃ、遊びに行く?』みたいな感じで朝まで遊び、そのまま会社に行く、みたいな生活をしていました。まさに、『チア・ハード、ワーク・ハード』でした。チアも一生懸命やるけど、仕事も一生懸命やる。みなそれは共通してありました。
 

(取材・文/会津泰成)
 
(2回目に続く)

堀 郁 (ほり いく)
6月5日生。神奈川県出身。小学校~高校まで過ごしたアメリカでチアリーダー、ドリルチームにふれる。青山学院高等部にてソングリーダーとして活躍。卒業後、大学・社会人時代ともにクラブチームに所属する傍ら、コーチとして活躍。スポーツ団体、学校などの応援活動を指導。USA (United Spirited Association)Japanマーケティングディレクターとしてスポーツイベントのプロデュースやプロの育成など、国際レベルでのチア普及活動を手がける。
日本スポーツチア&ダンス連盟代表、CHEERMAX代表・ディレクター、AACCA公認インストラクター
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