チアに関わる僕の取材活動の始まりは、いまから6年前の2005年、彼女との出会いがきっかけだった。
当時僕は、野球漫画の原作を書く取材のため、毎週のように仙台に通っていた。取材活動を通して、僕は、ひときわ輝き、はつらつと仕事をしていた彼女と出会った。彼女の名前は塩崎佐恵。東北楽天ゴールデンイーグルス公式チアリーダーズ「ゴールデンエンジェルス」のエグゼクティブプロデューサーとして指揮を執っていた彼女は、初代監督の田尾監督に負けず劣らず孤軍奮闘していた。
プロ野球参入元年、何もかもがドタバタの中でスタートを切った楽天球団は、シーズンを通して調子は上がらず、最下位が指定席だった。そんな中、ゴールデンエンジェルスは、クリムゾンレッドに染まるスタジアムを盛り上げ、選手とファンの一体感を演出するのに一役買った。
「チアは元々、アメフトの応援から始まっているので、理想としては、試合中も選手と同じフィールドに出て、お客さんと一緒に盛り上がりたい。でも、野球の場合は、試合中に出られるのはイニング間だけなので、アピールできるのは長くても3分間。しかも、広いフィールドでは出て戻ってくるだけで1分30秒かかることもある。そうなると、せっかくのパフォーマンス時間も、バタバタしている間に終わってしまうので、チアの良さがなかなか伝わらない。そこは正直、悩み所でした。」
いまでこそプロ野球チームの応援にチアリーダーが起用されていても違和感はないが、当時は稀有な存在だった。そのため、ファンはもちろん、関係者からも理解を得なければならず、塩崎率いるエンジェルスは、試合開催時だけでなく、さまざまなイベントやボランティア活動を通して普及に努め、先ずは自分たちの存在自体を理解してもらうことが必要だった。
「最終的に、ファンにも球団関係者にも、『チアリーダーがいるだけで、球場が華やかになるよね』と言ってもらえた事は、嬉しかったですね。エンジェルスをきっかけにして、プロ野球とチアリーダーの関係性をより良いものに出来たと思います。エンジェルスを立ち上げたことで、『12球団すべてにチアリーダーがいないと、寂しいよね』という部分を少しは作れたのかな、と思っています。」 |